最初に日記を書いたのはいつだろうか?

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ショットグラスのテキーラを飲み干し、初対面の白人の女の子とハグをする。そしてまたテキーラのショットをあけて、今度は二メートルを超える黒人とハイタッチ。ベッドではベトナムから来たキムが韓国から来た男の子と飛び跳ねる。あっちでもこっちでもみんながはしゃぐニューイヤーパーティーの馬鹿騒ぎは夕方から続き、時間はそろそろ夜の一二時。一九九九年も残すところあと少しとなった。みんなべろべろに、明日の事なんて知ったことかと酔っている。だって明日から世界はなくなるんだからと。

 一九九九年。アメリカの前には一つの危機が迫っていました。アメリカはコンピューターの発達により、きわめて高度な情報化社会となっており、あらゆる仕組みがコンピューターなしでは成り立たたなくなっているけども、コンピューターを導入し始めた頃のプログラマー達が年代を打ち込むのに一々1989年とか1976年などの四桁ではなく、89年や76年と打ち込んでいたため、2000年を迎えた瞬間にあらゆるシステムが2000年を1900年と認識し、あらゆる仕組みが暴走するだろう。その結果、文明は崩壊し、「暴力が支配するぜ!ヒャッハー!」になるに違いない。

1999年、いわゆるy2k問題が大まじめにアメリカでは議論されていました。当時、僕はアメリカで絵描きをしていたので、ホームセンターで近所のおじさんがミネラルウォーターや弾丸を大量に買っていたり、仲の良いメキシカンが常識では考えられない量のガソリンを備蓄しているのを、実に大味で愉快な世紀末アポカリプスだと眺めていた訳ですが、結果はみなさんご存じのように、実に平常運転で二千年の朝はやってきました。ニューイヤーパーティーの馬鹿騒ぎの二日酔いで自分の頭の中だけがポストアポカリプスという、おまけはありましたが実に平常運転でした。

そんな普通にやってきた二千年で、有事に備えた人たちがどうしたのか?。多分、備蓄したものを日々の生活に消費していったり、新たなるアポカリプスに備えてプレッパー(世界の終わりに備える人たち)になったりしたのでしょうか。騒動がアメリカ中を動かす騒ぎでも終わりはよく分からないのは、今も当時も世の常な訳です。

 

少し話は変わって私事ですが、一九九九年にy2kでアメリカが愉快な事になっている様子を日記にしてアップロードしていたのですが、その頃に同じようにネットで日記をアップし始めた友人が「俺、四十歳になってもインターネットで日記書いてたりするのかな?、嫌なような気もするけどやってそうな気もする。」と言っていて、周囲は「さすがにやめてるだろ」とか「そのころ日記をネットにアップする文化なんてなくなってるよ」なんて言い合ってたけど、世の中は予想外の方向に向かって、みんなは日記どころか、今していることをリアルタイムでつぶやいたり、動画で実況したり、日記を超えてライフログという形でアップして楽しんでいる状況を見ると、人間の本能的な暴露癖に感嘆を禁じ得ない訳ですが、後数年で四十を迎える身として、「人は四十になってもネットで日記を書くよ。多分死ぬ直前ぐらいまでは書くんじゃないかな?」なんて思ったりしてます。

そんな訳で初めての人には、はじめまして。久しぶりの人にはお久しぶりですね。またネットで日記を書いていこうと思います。