倦怠と皮肉

「そもそも、それに関して言っている人に言葉が通じないのよね。」

女はため息まじりにそう言うと、食後のグラッパを口に含む。テーブルのロウソクの炎がグラッパで濡れた女の唇を艶やかに映し出す。

「だって、わざわざ前提から入って順繰りに『どうしてそうなるか』をちゃんと積み重ねて、結果を説明したのよ?日本語が理解できるなら、誰でも分かるように書いても、読まないのよ。ちょっと分かりづらかったかな?ってもっと丁寧に掘り下げてみても、やっぱり読まないのよね。」

女は巻き毛に指をくるくると巻きつけながら続ける。

「そういう人って、前後の文脈を無視して抜き出したセンテンスに噛みついたりするのよね。きっと私が言った事が理解できる頭がないから、なんとなく覚えてる事に反論するのよね。それで私に何て言ったと思う?『お前は人類史上最低のクズ』ですって。反論じゃなくて悪口なのよね。また貧困なボキャブラリーなのがおかしくて哀しいのよね。」

そう言うと目を窓の外に向ける。窓の外には東京の夜景が輝いているが、彼女の目にはそれが写っていないかのようだった。男は女のそんな冷たい井戸の底のような目が嫌いではなかった。

「『お前は人類史上最低のクズだ』なんて人間の価値を断じる事ができる、そんな優れた頭脳をお持ちの方を説得しようなんて、君も恐れ多い女性だね。その彼のような高尚な精神を持たない、我々のような凡百には彼の深遠な考えには理解は及ばないのさ。きっと彼の精神は高尚過ぎて、彼以外のすべての人間をクズに見せてしまうのだよ。」

男は給仕から受け取った請求書にサインをしながら続ける。

「哀れにも我々は彼のような高尚な精神を持つのは無理だろう。でも、哀れな我々の人生にも楽しい事や大事な事が沢山あるだろ?」

そう言うと男は立ち上がる。女は微かに笑う。そして男の腕にしなだれかかるように巻きつき、二人はレストランを後にした。