インスタグラムはじめました。

賞をいただいて美術館で展示をする、ギャラリーで個展を開催する、写真集を出版する。こういった従来の写真の発表も良いのだけども、ギャラリーや美術館、写真集という媒体は「芸術や美術に興味がある人しか見ない」という問題があって、発表する側も見る側も新しい出会いや発見が少なく、どんどん身内的、血が濃くなる傾向が強い。

血が濃くなると弱くなるのが生物の常、最後には極端な生態になって滅んでいくのは遺伝子も文化もあまり変わらないところ。政府から維持のための補助金を支給され、なんとか滅ばないように管理される絶滅危惧種や古典芸能がその典型な訳です。

 

そういう滅びを避けるため、というのは大げさですが、新鮮な空気を吸うためにインスタグラムをはじめてみました。アーティストにとって自作の解説は解釈の押し付けという危険が伴うので、解説にならないように写真に関しても書いていこうと思います。

 

では記念すべき第一回。はこちら。

https://www.instagram.com/p/BM8Wd4DBGrG/

Tokyo

 

私が住んでいる世田谷は馬の盛んな土地柄で、高校の時は学校に馬術部があり、馬に親しんでいました。アイルランドではアパートやマンションに馬房が必ずあって、みなで馬をシェアするのだそうで、大人になっても馬に親しむのだそうです。もう今は馬に乗ることもないし、触れ合うことも年に数回しかないので、うらやましい限りですが、近所の建築事務所では馬を飼っていて、よく近所を散歩していているので、「馬がすきだ!」という情熱の問題なんでしょうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

最初に日記を書いたのはいつだろうか?

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ショットグラスのテキーラを飲み干し、初対面の白人の女の子とハグをする。そしてまたテキーラのショットをあけて、今度は二メートルを超える黒人とハイタッチ。ベッドではベトナムから来たキムが韓国から来た男の子と飛び跳ねる。あっちでもこっちでもみんながはしゃぐニューイヤーパーティーの馬鹿騒ぎは夕方から続き、時間はそろそろ夜の一二時。一九九九年も残すところあと少しとなった。みんなべろべろに、明日の事なんて知ったことかと酔っている。だって明日から世界はなくなるんだからと。

 一九九九年。アメリカの前には一つの危機が迫っていました。アメリカはコンピューターの発達により、きわめて高度な情報化社会となっており、あらゆる仕組みがコンピューターなしでは成り立たたなくなっているけども、コンピューターを導入し始めた頃のプログラマー達が年代を打ち込むのに一々1989年とか1976年などの四桁ではなく、89年や76年と打ち込んでいたため、2000年を迎えた瞬間にあらゆるシステムが2000年を1900年と認識し、あらゆる仕組みが暴走するだろう。その結果、文明は崩壊し、「暴力が支配するぜ!ヒャッハー!」になるに違いない。

1999年、いわゆるy2k問題が大まじめにアメリカでは議論されていました。当時、僕はアメリカで絵描きをしていたので、ホームセンターで近所のおじさんがミネラルウォーターや弾丸を大量に買っていたり、仲の良いメキシカンが常識では考えられない量のガソリンを備蓄しているのを、実に大味で愉快な世紀末アポカリプスだと眺めていた訳ですが、結果はみなさんご存じのように、実に平常運転で二千年の朝はやってきました。ニューイヤーパーティーの馬鹿騒ぎの二日酔いで自分の頭の中だけがポストアポカリプスという、おまけはありましたが実に平常運転でした。

そんな普通にやってきた二千年で、有事に備えた人たちがどうしたのか?。多分、備蓄したものを日々の生活に消費していったり、新たなるアポカリプスに備えてプレッパー(世界の終わりに備える人たち)になったりしたのでしょうか。騒動がアメリカ中を動かす騒ぎでも終わりはよく分からないのは、今も当時も世の常な訳です。

 

少し話は変わって私事ですが、一九九九年にy2kでアメリカが愉快な事になっている様子を日記にしてアップロードしていたのですが、その頃に同じようにネットで日記をアップし始めた友人が「俺、四十歳になってもインターネットで日記書いてたりするのかな?、嫌なような気もするけどやってそうな気もする。」と言っていて、周囲は「さすがにやめてるだろ」とか「そのころ日記をネットにアップする文化なんてなくなってるよ」なんて言い合ってたけど、世の中は予想外の方向に向かって、みんなは日記どころか、今していることをリアルタイムでつぶやいたり、動画で実況したり、日記を超えてライフログという形でアップして楽しんでいる状況を見ると、人間の本能的な暴露癖に感嘆を禁じ得ない訳ですが、後数年で四十を迎える身として、「人は四十になってもネットで日記を書くよ。多分死ぬ直前ぐらいまでは書くんじゃないかな?」なんて思ったりしてます。

そんな訳で初めての人には、はじめまして。久しぶりの人にはお久しぶりですね。またネットで日記を書いていこうと思います。

 

マルシェ


 「やあ、おにいちゃん、買ってって。なんでもいいから!あら、そこのおとうさん!スイカはいかが?」

農家の直営店を「後でまた来るから、そん時ね。」と笑顔ですり抜けながらマルシェの奥へと進む。今度は中国人商人が、

「オニサン、ミルタケミッテッテヨ、メズラシイモノヨ!」

と怪しげな彫刻を進めるのを「後でね、後で。」とすり抜ける。

 マルシェを奥へ奥へと進むと目的のカフェがある。インド帰りの美丈夫で六十を迎えたであろう歳には相応しくない逞しい体と美しい肌をした店主と

「やあ、お久しぶり。相変わらず写真ですか?それは結構結構。私は隠居しましてね。カフェは妻にやってもらってるんですよ。私はこうして座っているだけ。いや、違うな。座って口を出すだけだから、口うるさい隠居になったんですよ。

 そうそう、あそこの魚屋さんは来なくなりましたよ。宝くじで一億円が当たったらしくて、それで身の丈に合わない大金を身につけたせいでしょうね、糖尿病を悪化させてしまったみたいですよ。」

などと冗談を交わすのを習慣にしている。

 さて、そんなマルシェで見た事のないお店が出ていた。若い男性二人がフライパンでうどんをソースで炒めて、それをパックにせっせと詰めている。それを会計係の若い男性と女性が売るという仕組みのようである。

 カフェの店主に聞くと、近くの工科大学の学生さん達のお店のようで学費の足しにという事でお店をやっているそうである。なるほど、みれば男性も女性も驚くほど若い。「学費の足しに」などと聞くと買ってあげたくなるのが人情というもので、「昼食はこれにするか」などと思って眺めていると、奇妙なことに気がついた。


 学生は二列のフォーメーションで後列の二人に一つづつのガスレンジで料理を作り、それを次々とパック詰めする。その様は自動車工場でラインから次々と繰り出される自動車のボディーにドアを取り付けるようで、バウハウス的な反復する美すら感じさせるものであった。

 前列の二人はそれを袋に入れたり会計をしていて、こちらも笑顔でありながら、その袋に入れる様は舞うようであり、会計をする様はピアノの演奏をするかのごとくでモダンダンスの面影を感じるものであった。

そして、先ほどは気がつかなかったが、さらに二人が前後のヘルプをしていて、手が足りないところにはすぐさま現れては作業を助けていく。無駄のないチームワーク、実に良い動きである。あれならさぞ沢山の料理を、大量のお客を相手に出来るだろう、学生さんはきっと優秀な人たちなのだろう。

 手際よく料理を作り、次々とパックに詰めていく。実に手際が良い。そう、手際が良すぎるのである。そのお店で料理を買う人はまばらで、売れるスピードに対して在庫の溜まるスピードが明らかに早すぎる。今、私が彼らから買うとしたら、あの薄高く積まれた冷めた料理を買うことになるのは明白である。

 

 「そうだよ、ウチはお客さんが来てから魚を捌くんだよ。そりゃ捌きたてが美味しいに決まってるし、お客さんもその方が嬉しいでしょ?」

魚屋さんと交わした言葉を思い出しながら、テキパキと料理を袋詰めにする彼らを背にカフェを後にした。

倦怠と皮肉

「そもそも、それに関して言っている人に言葉が通じないのよね。」

女はため息まじりにそう言うと、食後のグラッパを口に含む。テーブルのロウソクの炎がグラッパで濡れた女の唇を艶やかに映し出す。

「だって、わざわざ前提から入って順繰りに『どうしてそうなるか』をちゃんと積み重ねて、結果を説明したのよ?日本語が理解できるなら、誰でも分かるように書いても、読まないのよ。ちょっと分かりづらかったかな?ってもっと丁寧に掘り下げてみても、やっぱり読まないのよね。」

女は巻き毛に指をくるくると巻きつけながら続ける。

「そういう人って、前後の文脈を無視して抜き出したセンテンスに噛みついたりするのよね。きっと私が言った事が理解できる頭がないから、なんとなく覚えてる事に反論するのよね。それで私に何て言ったと思う?『お前は人類史上最低のクズ』ですって。反論じゃなくて悪口なのよね。また貧困なボキャブラリーなのがおかしくて哀しいのよね。」

そう言うと目を窓の外に向ける。窓の外には東京の夜景が輝いているが、彼女の目にはそれが写っていないかのようだった。男は女のそんな冷たい井戸の底のような目が嫌いではなかった。

「『お前は人類史上最低のクズだ』なんて人間の価値を断じる事ができる、そんな優れた頭脳をお持ちの方を説得しようなんて、君も恐れ多い女性だね。その彼のような高尚な精神を持たない、我々のような凡百には彼の深遠な考えには理解は及ばないのさ。きっと彼の精神は高尚過ぎて、彼以外のすべての人間をクズに見せてしまうのだよ。」

男は給仕から受け取った請求書にサインをしながら続ける。

「哀れにも我々は彼のような高尚な精神を持つのは無理だろう。でも、哀れな我々の人生にも楽しい事や大事な事が沢山あるだろ?」

そう言うと男は立ち上がる。女は微かに笑う。そして男の腕にしなだれかかるように巻きつき、二人はレストランを後にした。

北風と太陽。

市場にて。

北風

「ねえ、ちょっと。ねえって言ってるの聞こえないの?そうだよ、アンタだよアンタ。なにキョロキョロしてんの、アンタ以外に誰もいないでしょ。そんな事も分からないのかよ。まったく、困るんだよなあ、アンタ達みたいな連中がさ、一番困るんだよ。このクソ暑い中を店番してるだけでもイライラするのに、アンタらみたいな「顔に冷やかし」って書いてるような連中にウロウロされて、あげく商品をペタペタ触りやがってさあ。俺がアンタらの触った包丁を拭かなきゃいけないんだよ。まったくとっとと向こうに行けよ。まったく買う気のない貧乏人どもばっかり寄って来やがる。ほれっシッシ!」


太陽

「はい、いらっしゃい!いらっしゃい!そこの貴方も見とっておくれ。いい包丁なんだよ、ウチのは。なんせウチは鍛冶屋の直営だからね、そんじょそこらの包丁とは訳が違うよ。ホラ兄さん、手にとって触ってみてよ!どう?全体のバランスも刃の質感も全然違うでしょう?兄さんの手の大きさだと、そうだねえ、これくらいのサイズが良いかな?なに?短いのが好きだ?うんうん、使い込んで短くなったような包丁のサイズね。それならこっちの黒鋼がオススメだよ。そっちの白鋼と切れ味は一緒なんだけど黒い分だけ人気が無いから安くしておくよ。え?せっかくだから白鋼にしておく?そうかい?切れ味は本当に同じで高いだけだよ?ありゃー、兄さん悪いねえ。悪いからこいつはオマケだ!研ぎのチケットを二枚あげる。郵便でチケットと包丁を送ってくれれば、ウチの職人が研ぎ直すからね。送料はウチで持つから。まいどありー!」

コンサートマスターとサミングアップ、そして拍手。

1,コンサートマスター

男「今から芸術的なモモ肉を切り分けますからね。脂肪がなくて味の強い、肉の中で最上の部位ですよ。」

この言葉とともに劇が開幕した。舞台にはランプ肉の塊が載せられ、男がランプから筋を切り落としで食べれる部分、筋だけの硬い部分、脂肪と選り分けながら引いていく。


店内には穏やかなクラシックが流れ、男はその音楽を指揮するかのように包丁を肉に滑らせる。肉を切っているというよりも、舞っているような優雅な所作で、その口調も動きと同じく極めて優雅だ。目を瞑れば、ここがサントリーホールで彼がオペラを指揮しているようであり、実際に作業台の上で行われている作業は歌劇である。その歌の内容を記そう。

男「韓国式焼肉が肉の食文化をダメにしましたね。アレはタレで不味い肉を食わせる方法ですからね。どこで食べてもタレの味しかしないんだから食べるに値しません。それと違ってすき焼きは肉が不味いとすき焼きも不味い。肉の味を楽しむ料理法な訳ですよ。あんな韓国式焼肉なんかで右往左往してあそこが美味いだの不味いだの振り回されて、全く愚かしい事です。

それもこれもマスコミが悪い。嘘ばっかり書き連ねて、あれが諸悪の根源ですよ。政治だって同じですよ、安部総理大臣が目先の株価を上げてね。あれがタレです。本当に良い政治ならあのようなタレなど不要です。」

そして、牛肉でいうとチャックリブだろうか?脂と赤身の混合が美しい塊を出し、それを薄切りにして私に手渡してくれた。

男「はいどうぞ、これは売り物ではないんだけど、特別に。」

男が差し出した生肉を口に入れる。思わず美味い、とつぶやく。肉、つまりは血の味が強く、それがまた美味い。そして、後から脂が口の中で溶け出す。生肉が好きな人には堪えられない逸品である。とにかく美味い。これでメドックの赤があれば人生は完成だな、などと思っていると、新しいお客が入ってきた。が、男は

「あ、すいません。今日はもうおしまいです」と無下にお客を追い返してしまう。肉を口の中で転がしながら、え!?私はここにいて良いの?と思うが、男は御構い無しである。そして今度は脂の塊を取り出して、

「これも特別。食べてみて。世間では、これを『たてがみ』と言うそうだけど、馬鹿を言ってはいけません。毛を食べる人なんていません。これは正しくはネックロックと言うのですよ。」

と、今度は脂の塊を薄切りにして手渡しくれる。冷たい脂が口の中の体温でゆっくりと溶け出す。陸上生物の脂は人間の体温では溶けないので、口に入れても蝋のような舌触りで味がせず不味いなどと言われているが、そんな事は全くない。この世で最も美味しいバターとでも言えば良いのだろうか?ゆっくりと実にゆっくりと口の中でとろける。そのゆっくりとした時間を味わえる人だけの愉悦。ああ、人生はこの瞬間のためにあったのだな、思わずため息をつく、はぁー。

男は私の顔を満足げに見ると、

「じゃあ、これとこれはおまけね。」

と、注文と同じくらいの、いやそれよりも多い量のチャックリブ(?)とネックロックを包んでくれた。



2,サミングアップ

中島誠之助みたいだ。それがこの男から感じた印象だった。

弔いごとの席で「今日はよろしくお願いします」と言う顔からして全く悟っていない。が、だからこそ彼のお経はスリリングであり、面白い。まるで針の飛んだレコード、エミネムだってこんなアレンジはしないだろうというプログレッシブなタイミングで息継ぎをするお経。故人を懐かしむ悲しみのあまり流れた涙も、彼の個性的なお経を聞けば自然と乾く。そんな実に、実に!にユーモラスなお経である。

涙は乾いた。が、笑うのを堪える、という不思議な我慢大会になりつつある中、和尚は急に前のめりになってお経に詰まった。私たちオーディエンスは「お経を忘れたのか?」と好意的に捉えたが、和尚は益々前のめりになり、私たちは「心臓発作か!?和尚が、ここで!」と助けに行こうかと思った瞬間、和尚がへくしょん!と間抜けなくしゃみを一つ。

読経の後の法話は良い話だったが、何を言ってもくしゃみ和尚の言うことだからなあ、と面白半分であった。

その後、料亭の仕出しの松花堂を食べながら和尚が、

和尚「いやあ、近頃は中国製が多くておちおちスーパーで買い物も出来ませんな。弁当の素材が中国製だったりして、とても食べる気がしませんわ。全く油断も隙もありませんな。わっはっは。」

と言いながらモリモリと、その中で一番若い私が面食らうほど量の多い松花堂を平らげて、親指を立てて帰って行った。




3,拍手

機械でササッっと、儀礼的にやるものかと思っていた。しかし実際は違っていて、日に焼けた浅黒い顔を金太郎のような逞しい身体に乗せた男がそれを専門やっているのだった。真心をこめて。

「いらっしゃい、お待ちしてましたよ。

 いえいえ、いいんですよ。事務所は弟の方に任せてきましたし、今日はあまり忙しくないですから。私たちが忙しいというのは余り縁起が良くないような気もしますがね。」

そういうと男は墓石を次々とどけていく。そしてコテのようなものを二本、大きな身体に似合わず器用に使い石を少しづつ動かす。

「良いですか?墓石は少しでもテンションが片方に寄るとすぐ割れちゃうんですよ。素人さんが動かそうとしても必ず壊れます。こうやって少しづつ少しづつ動かすんですよ。そうすると、ほら出てきた。これが仏さんを収めるところですよ。あ、この手口は私の親父だな。見れば大体誰が墓石を設置させて頂いたか分かるもんですよ。これは親父の手口ですな。ほら、ここの石の置き方に特徴があるでしょう?

それで、骨壷を入れてもらうんですが、蓋を開けて親指を入れて入れてください。そうすると滑らずに入りますから。入ったところで蓋をして埋葬証明書を入れてください。

はい、ご苦労様でした。長生きだったね、偉かったねえ。」

男のとても良く通る声は、私ではなく墓の下の仏に向かっているのだった。

墓石をどけた時と逆の手順で、コテを使って少しづつ丁寧に石を戻していき、最後に墓石が傷つかないように包んでいた毛布を片付けたところで思わず拍手をした。実に素晴らしい所作だったと、素直に感動したから。

プロラボとソシュール

昔の写真をレタッチしていて、「どうせ自分のアーカイブを造り直すなら、フィルムも入れたら目新しくて楽しいのでは?」と思いついたので、深い考えなくスキャナを引っ張り出してフィルムのスキャンを始めてみたら、これが色々と大変な作業で、思いつきで適当に始めるような事じゃなかったと後悔しつつも、デジタル化前の写真は古いデジタル写真と同じようにわくわくするのもまた確かである。

2004年程度のデジタル導入初期の写真は試行錯誤の繰り返しで、どうやったら安定して写真が創れるか?というのが目に見えるようだけど、2000年前後のフィルム写真は「どうやったら写真が撮れるか?」という、写真ってなんだろう?という探求になっていて、自分なりの答えを知っている今としては「迷ってるなあ」と昔の自分を思いつつも、フィルム写真をとんでもない量を撮って、写真の最も写真らしい部分を探求する情熱が写真から伝わってきてわくわくする。

写真を見ると、損得度外視で気軽にシャッターを切って実験をしているので、今とやっている事は変わらないと言えば変わらないけども、その場で実験の結果が見える今とは隔世の感で、当時はプリントを見ても何を実験したのか忘れたりしてたのだよね。デジタルは楽でいいなあ。


そんなプリントをスキャンしてトーンとコントラストをいじろうとするのだけど、いじる所が無いのが凄い。メーカーのプリントマンが現像しているラボに出していたので、当然プロのプリントマンが写真を調整してくれていた。いわゆる機械現像ではないプロラボ。だから階調もコントラストもいい塩梅でいじる所が無い。当時は当たり前だと思ってたけど、ラボの中の人は腕が良かったのだね、それもかなり。

そんな階調とコントラストの素晴らしいプリントだけど、色温度は色見本をつけてなかったのでプリントマンの好みでやらざるを得ず、写真が赤かったり緑だったりとフィルターワークが多彩で、結果として凄く面白い写真になっている。今の仕組みだと色温度は現場で「今日は夕方っぽく」とか、「日曜の早朝っぽく」とか照明そのものの温度を変えられるし、その時の色温度を記録するのも簡単。そんな適切な色表現が実現して事故の起きる余地をなくした結果、偶然はなくなり簡単に必要な絵が造れるようになった。でもこの「事故が起きない状況」というのは偶然や奇跡は無く、また創造性はむしろ必要ない状況で、新しい技術の発見が全くとは言わないけど、凄く少なくてわくわくしない(事故と奇跡は同じ事だからね)。


で、当時のプリントマンが想像でプリントしている写真は自分では絶対に創らない色温度になっていて、それがまたなんとも言えない体温というか温度や質感を出していて凄く面白い。風景写真が凄くエロティックだったりと、「こういう手もあるんだなあ」と関心しきりである。ソシュールじゃないけども、撮り手とレタッチャーに意思の疎通をさせずに写真という触媒を介して対話させると、こういう面白い事が起きる。美術そのものが非言語のコミュニケーションだけど、創る時も言語を使わない方がハレーションが起きて面白いね。






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写真は2000年くらいだと思われる。フィルムはコダックのポートラ160VC。

都立大の富士フィルムの大規模ラボが無くなり、都内に沢山あった堀内カラーの営業所がめっきり減り、フィルムという画材も無くなりつつあるけども、たまにはフィルムで撮ってみようか。